1996年4月10日に通算13作目のシングルとしてリリースされた「チェリー」は、その後、スピッツを代表する楽曲のひとつになっています。
明るく、親しみやすく、青春の恋を歌った曲として聴こえます。けれど不思議な歌詞を追っていくと、そこには草野正宗さん自身の内面、売れ始めたスピッツの自問自答、そしてリスナーへ向けた語りかけが重なっているようにも見えてきます。
「チェリー」は、過去の自分から未来の自分へ、そして聴き手へ向けて差し出された手紙のような歌だと思います。
記憶の入り口としての冒頭
君を忘れない 曲がりくねった道を行く
生まれたての太陽と 夢を渡る黄色い砂
冒頭にある「忘れない」という言葉は、その後に続く歌詞を見ると、恋の記憶でもありながら、深い場所に置かれた記憶のようにも聞こえます。
曲がりくねった道を進みながら、夢の中の風景を渡っていく。そこには、現実の道を歩いているというより、記憶の中を進んでいる感触があります。
「”チェリー”に関してはもうイメージだけで作っていったからね。結構慌ただしく作ったんで、余計、深層心理から無意識に出たものが多いかもしれないよね」
出典:『スピッツ』(「ロッキング・オン・ジャパン」1996年4月号)
この風景は、草野マサムネさんの内面の旅にも見えます。
「曲がりくねった道」は、大きく売れたスピッツが、かつての手探りで進んできた道を重ねていると考えてもよいかもしれない。
「チェリー」は、桜の花と、チェリーボーイを掛けたようなタイトルと思われますが、「生まれたての太陽」とあるように、無垢なものの空気が描かれている。そこには通過儀礼のような感触があり、スピッツの、初心に変えるような気持が重なっているかもしれない。
偽悪的な歌を、花びらに変える
悪魔のふりして 切り裂いた歌を 春の風に舞う花びらに変えて
歌の中に出てくる「悪魔のふり」という言葉には、偽悪的な姿が見えます。
わざとひねくれた言葉、不気味な言葉を選んだり、素直な青春の歌から少し距離を取ったりする感覚です。初期のスピッツには、かわいらしさと同時に、毒や怖さ、倒錯したイメージも多くあります。
その尖った歌が、春の風の中で花びらに変わっていく。
ここにあるのは、過去の否定ではなく、歌い直しのように聞こえます。
昔の自分たちが作った、少し尖った歌。どこか偽悪的でもあった表現。
それを消してしまうのではなく、春の風の中で美しいものへ変えていく。
「チェリー」は、スピッツ自身の立ち位置を改めて抱え直している歌にも見えます。
「愛してる」の響きだけで──あえて置かれたポップスの言葉
「愛してる」の響きだけで 強くなれる気がしたよ
「愛してる」の響きだけで、という言葉も気になります。
草野マサムネさんの歌詞には、「愛してる」という言葉は数えるほどしかありません。「チェリー」の後、「つぐみ」「リアリティ」「心の底から」などにも出てきますが、「チェリー」以前にこの言葉が出てくるのは「裸のままで」だけです。
→「裸のままで」の歌詞考察
「裸のままで」は、スピッツがポップスの方向へ切り替えたばかりの時期の歌。
それまでのアングラな匂いを残しながら、あえて真っ直ぐなポップスの言葉を歌詞の中に入れた。
その言葉が「愛してる」だった。
そして「チェリー」では、その言葉が再び用いている。過去を振り返るような視点で。
興味深いのはことばの意味ではなく、「響き」に焦点が当たっているところです。
意味そのものより、その音が持っている力。
当時のポップスの中で、「愛してる」という言葉は、特別な強い力を持っているようだったかもしれない。
そこには、売れた後のスピッツが、かつてポップスへ踏み出した自分たちを思い出しているような印象を受けます。
つまり、「裸のままで」で一度だけ使われた「愛してる」という言葉が、「チェリー」の中で再び響いている。
眠気と水──夢から現実へ戻される感覚
少しだけ眠い 冷たい水でこじあけて
後半に出てくる眠気と冷たい水の描写には、夢の中にいたい気持ちと、現実に戻される感覚が重なっています。
ぼんやりとしたまどろみの中にいたところへ、冷たい水で急に目を開かされる。
これは、夢と現実の境界にいる感覚のように見える。
ここで思い出すのが、『ルナルナ』の「羊の夜をビールで洗う」という言葉です。
眠れない夜、あるいは眠りの世界へ入りたい夜に、ビールで無理やり意識を沈めようとする。
そこには、現実から夢の方へ向かおうとする力があります。
一方で、『スカーレット』には「コーヒーの渦に溶けそうでも」という言葉があります。
コーヒーは、眠りとは逆に、目を覚ますものです。
夢の中にいたい。現実へ引き戻していく力に抗おうとしている。
そう考えると、『チェリー』の冷たい水も、夢を破るものとして置かれているように見えます。
◇「ルナルナ」では、ビールの力を借りて眠りの世界へ向かう。
◇「スカーレット」では、コーヒーのような目を覚ます力に抗う。
◇「チェリー」では、冷たい水で夢から現実へとこじ開ける。
スピッツの歌の中で、眠りと覚醒の境界が何度も描かれていますが、それぞれ視点やベクトルが違う。
「チェリー」も、どこか夢の中にいますが、現実側に寄っている。
けれど時間は止まってくれません。現実に戻ったとき、
せかされるように、飛ばされるように、時間が進んでいく。
ここには、「ロビンソン」で脚光を浴びた後のスピッツの状況も重なります。
夢の中で歌っていたら、いつのまにか外の世界が急に騒がしくなっていく。
めぐり会いたい場所──夢の中の循環
いつかまたこの場所で 君とめぐり合いたい
また会いたいと願う「この場所」は、現実にあるどこかというより、記憶の中の、心の中にある場所のように見えます。
どれだけ歩いても、たどりつけない
けれど、そこにはたどり着けない。
ここに夢の構造があります。
戻りたい場所がある。
もう一度会いたい人がいる。
でも、現実の道は既にもう動いていて、どれだけ歩いてもそこには戻れない。
それでも歌の中では、まためぐり会える。
「チェリー」は、歌を通して過去と未来が循環する歌のようにも感じます。
騒がしい未来──売れた後のスピッツ
想像した以上に 騒がしい未来が僕を待ってる
「騒がしい未来」という言葉には、スピッツ自身の状況がよく重なります。
「チェリー」の前に、スピッツはすでに「ロビンソン」で大きな注目を集めていました。
そのあとに待っている未来は、静かなものではなかったはず。
期待されるイメージ。
世間からの視線。
「こういうバンドでいてほしい」という空気。
売れたことで広がる可能性と、同時に生まれる窮屈さ。
「騒がしい未来」は、ただ明るい未来のことではなく、注目と喧騒を含んだ過去から見た未来だったのだと思います。
その中で、過去の自分たちの歌を、花びらに変えようとしている。
そう読むと、「チェリー」は恋愛の歌でもありながら、自分語りの、とても内省的な歌にも見えてきます。
ライブでの語りかけ──リスナーと再会する歌
「チェリー」は、ライブで歌われると、ファンへの語りかけのようにも響きます。
「やっぱり曲を作る時にある程度ライヴのことを考えちゃうようになりますよね。これはデビューした頃との一番大きな違いなんだけども、デビューした頃って全然ライヴやってないバンドだったんで面と向かって誰かに歌う歌って作ってなかったんですね」
出典:『スピッツ』(「ロッキング・オン・ジャパン」1996年4月号)
またこの場所で会いたい。
この言葉は、過去の誰かに向けられているだけでなく、今この歌を聴いている人にも向けられているように感じます。
ライブ会場は、そのたびに「この場所」になります。
かつてこの歌を聴いた人も、初めて聴く人も、同じ歌の中でめぐり会う。
そう考えると、「チェリー」はスピッツ自身の過去の歌であり、同時にリスナーとの再会の歌にもなる。
終わりに──
「チェリー」は、恋の歌としても聴けると思います。
でも、スピッツ自身に重ねて読むと、売れる前の自分たち、売れた後の騒々しい状況を内省している。そしてリスナーともう一度会おうとする約束の歌にも見える。
ポップスへ踏み出した時に置いた「愛してる」という言葉の響き。
「チェリー」は、明るく、親しみやすく、誰もが口ずさめる曲です。
その奥には、夢と記憶の混ざりあった内省が見えます。
それは、聴くたびにまた戻ってくる場所。初心のようなもの。
「チェリー」は、記憶の中の夢の世界から届き続ける、手紙のような歌だと思います。

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