スピッツ『君だけを』歌詞解釈──夜空に描く幽体離脱ソング

「君だけを」は、1993年9月26日発売の4thアルバム『Crispy!』収録曲です。アルバムの7曲目に置かれています。

この時期のスピッツは、初期のアングラ的・文学的な言葉から、より「ポップス」として歌い始める過渡期にいます。

「これまでだと、流行歌の歌詞なんて、からっぽで弱いっていう決めつけをしてたんだけど、言葉には限りがあるから、そん中からも自分が愛情を持って歌い放てるような言葉を選ぼう、という」  出典:『スピッツ』(「ロッキング・オン・ジャパン」1993年6月号) 

そう考えると、「君だけを」というまっすぐな題名そのもの自体も、かなり意識的な選択に見えます。それまでは、タイトル自体も文学的であったり、謎めいた表現が多かったわけです。同じ『Crispy!』の収録曲には、「君が思い出になるまえに」「夢じゃない」「裸のままで」など、ポップス的に強く届く、分かりやすいタイトルが並んでいます。歌詞だけでなくメロディーだけでなくタイトルにも、スピッツの当時の新しい挑戦を見ることができるわけです。

夜の街へと「幽体離脱」をしている人々の群れ

街は夜に包まれ 行きかう人魂の中

冒頭の街の描写では、夜の中を行き交う人々が、ただの通行人ではなく、どこか「人魂」のように見えているのか、あるいは街のライトが人魂のように見えるのか。

ここは照明の比喩にも読むのが自然ではあります。夜の街の光、人の流れ、ぼんやりと揺れる存在感。
同時に、スピッツの初期から続く幽体離脱的な感覚で読むと、もっと生き霊に近いものにも見えます。人間の思いだけが、タマシイのように街を漂っているとも。

初期の2ndアルバム『名前をつけてやる』の中に入っている「恋のうた」に近いカタチを感じます。「恋のうた」では、「君の頭の上にいる」とあるように、恋している“僕”の気持ちが肉体を抜け出して、幽体離脱のように君の近くへ行ってしまうような感覚があります。
「君だけを」では、少し変化しながらも、その視点が極めて近い位置にある。夜の街そのものが、思いを抱えたタマシイたちで満ちている。

その中で“僕”は、君だけを見失わないようにしている。

毛布は、「夢の世界」へ入るための小道具

カビ臭い毛布を抱き 思いをはせる

この歌で印象深いのが、毛布のイメージです。1stアルバムの「ビー玉」にもありました。
(「ビー玉」の歌詞考察ページ)

「柔らかい毛布にくるまって ゆっくりうかんだら 涙の星になった」

「ビー玉」では、柔らかい毛布は夢の世界や幽体離脱へ入っていくための小道具のように見えました。毛布にくるまることで、現実の世界から離れて、意識だけが別の場所へ行く。

「君だけを」の毛布は、カビ臭いとあるように、もっと生活感があり、個人に結びついて離れない。少し閉じた感じがします。
夢の中で君と結ばれたいという片思いを美化するような表現で。

恋の言葉はまっすぐ。だけど視点は少しねじれている。

空に君を描く。鮮明に君が再現されるまで

君だけを描いている

「恋のうた」では、僕の意識は「君の頭の上」にいる。
つまり、僕のほうが空中に出て空を飛んでいる。

それに対して「君だけを」では、僕は夜空に君を描いている。
飛んでいくのではなく、描く。“君”が鮮明にありありと再現されるまで描き切るような感覚にみえます。
君のところへ到達するのではなく、夜空というスクリーンに、君の像を描き切る。

この時点で、恋は現実の関係から少し離れています。
君に会う歌ではなく、君の実在を再現するまで描き続ける歌。現実の君ではなく、僕の内側にある君の像を、夜空へ投影している歌にもなります。

だから「君だけを」という言葉は、純愛の言葉でありながら、同時に妄想の言葉でもある。
僕は君だけを見ている。けれど、その君は、現実の君そのものではなく、夜空に描かれた君のコピー。

一つになれない砕かれた僕ら

砕かれていく僕らに

ここで描かれる「僕ら」は、結局一つになれていない。「片割れ」という言葉がありますが、“かけら”とは、片割れにすらなれないような分割した存在という意味にも見えます。
恋愛の歌なら、本来は「結ばれたい」「一つになりたい」という方向へ向かうはず。けれど、この歌では、その願いはすでに諦められていて、どこか反対側から書かれているように見えます。

僕らは砕かれている。
かけらは汚れたまま。

つまり、恋人同士になる歌ではなく、バラバラなまま、君の像を作り続ける歌なのだと思います。
結ばれたいという願望がどこかに置かれたままにもみえる。だから僕は、汚れたかけらのまま、夜空に君を描く。

この「描く」という行為は、恋愛であり、空想であり、マサムネさんの創作活動そのものにもみえる。

いつもの夢の世界の入口

一人いつもの道を歩く 目を閉じて一人

後半の「一人」「いつもの道」「目を閉じる」という流れは、「恋のうた」のミルク色の道にもつながって見えます。

目を閉じて歩くというのは、現実の道ではなく、実際には心の内側の道を歩いている感じがあります。夢の世界の道であったり、タマシイの道であったり。
目を閉じて、まぶたの内側の世界に入る。すると、いつもの道は「夢の世界の道」になる。

ここでも、僕は君のところへ直接行っているわけではありません。
現実の道を一人で歩きながら、意識だけが君へ向かっている。肉体は毛布にくるまれたまま、タマシイだけが夜の街を歩いている。

「恋のうた」が、タマシイになって君の近くへ行く歌だとすれば、
「君だけを」は、毛布に体を残したまま、夜の街に飛んで君を描き続ける歌です。

君だけを思う。
君だけを描く。
でもその場所は、「恋のうた」と同じように現実ではなく、毛布・夢・タマシイの世界です。

「恋のうた」の幽体離脱感を、よりポップな言葉へ移し替えた歌。
「君だけを」は、初期スピッツ的な要素を残したまま、ポップス的なまっすぐな言葉が使われていると言えます。

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