スピッツ『春の歌』歌詞解釈……実はカエルの歌

草野心平『春のうた』につながる構造

ロック大陸漫遊記でマサムネさんが作詞の影響として、谷川俊太郎さんや草野心平さんを上げていたそうですが、草野心平さんには、まさに『春のうた』という詩があるのです。

スピッツ『春の歌』は、泥の感触から始まって、暗いトンネルを通って春の中へ出ていく歌ですが、この動きが、草野心平さんの『春のうた』と実によく重なります。

カエルは冬のあいだは土の中にいて
春になると地上に出てきます。
そのはじめて日のうた。
  草野心平春のうた』より

『春のうた』は、春は、最初からそこに広がる明るい景色ではなく、土の下にいるカエルたちの姿の説明からはいります。そして、春になったらそこから抜け出して、光や水や風を受け取るものとして描かれています。

重い足でぬかるむ道をきた トゲのある藪をかき分けてきた

スピッツ『春の歌』も、きれいな春の風景から始まるのではなく、足元の泥や、進みにくい場所から始まっています。そして、「ぬかるむ道」や「藪」を抜けていきます。

食べられるもの全てを食べた

カエルがモチーフと考えると、食べる様子が自然に入ってくる。土の中の蛙の姿。当然ながら、人間の苦労する姿を重ねてもいるとは思います。

草野心平さんの詩では、土の中を過ごしたカエルが外へ出て、「まぶしいな」と感じます。
スピッツ『春の歌』でも、暗い場所を抜けたあとに、春の光へ向かっていく感覚があります。

どちらも、春は考えるものではなく、身体で受け取るものです。
土の中から出る。泥を通る。
光を浴びる。外の空気に触れる。
その順番で、春が始まっていきます。春の前の冬を描く。

『春の歌』の「愛と希望より前」という言葉も、この読み方と響きます。
大きな言葉より前に、まず生きものとして春を感じている。
草野心平のカエルが春に鳴くように、スピッツの歌も、暗い場所を抜けたあとに始める声として理解できます。

「優しいあの子」にもつながる構造

この構造は、後の『優しいあの子』にもつながって見えます。

『優しいあの子』にも、明るい場所へそのまま進むのではなく、暗い場所を通過する感覚があります。
『春の歌』でも「暗いトンネル」を抜けるイメージは、臨死体験的な通過の感覚に近い印象を受けます。いったん暗い場所をくぐり、そこから別の光へ出ていく。

『春の歌』では、重い足で泥や藪、暗いトンネルを抜けて春へ出ます。
『優しいあの子』では、重い扉を開け、暗い道を抜けて、丸い大空のある景色へ向かいます。

『春の歌』の「遠い空に映る君」は、今ここにいる相手というより、自分とは違う場所へ旅立った存在のようにも見えます。
また、「忘れかけた君の名前」という感覚は、こちら側から死者を思い出すというより、死後の世界に近い場所から、現世の記憶をたどっているようにも読めます。

『優しいあの子』でも「日なたでまた会えるなら」とあり、同じような死別的距離を感じる言葉が使われています。

「春の歌」は、土の中から春へ出てくる歌です。冬を土の中で過ごすカエルのように。
草野心平さんの「春のうた」のように。
「優しいあの子」は、同じ構造で、死や記憶をわかりやすく描いた歌に見えます。

暗い場所を通る。
泥やトンネルを抜ける。
その先で光に触れる。
そこに、誰かの気配がある。遠くに消えていった、誰かの気配。

この流れで見ると、「春の歌」はただの前向きな応援歌のみではありません。
そしてその構造は、「優しいあの子」において、死の気配を通り抜けた先の、優しさへとつながっているように見えます。

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