はじめに
スピッツの「サンシャイン」は、1994年9月21日に発売された5枚目のアルバム『空の飛び方』に収録された曲です。アルバムでは最後の11曲目に置かれています。
『空の飛び方』には、「空も飛べるはず」「青い車」「スパイダー」なども収録されています。翌1995年の「ロビンソン」大ヒットの少し前、スピッツが大きく知られていく直前の、“予感”を含んだアルバムとも言えます。

「この曲が個人的には今回一番気に入ってるんですけど。だから、その”後ろ向き/前向き”ってことよりも、そうやって動かずに見つめている僕という人間を美しいフィルムに収めている私がいたりして」 出典:『スピッツ』(「ロッキング・オン・ジャパン」1994年10月号)
草野マサムネさんは、当時のインタビューで「サンシャイン」について、「この曲が個人的には今回一番気に入ってる」と語っています。上記の言葉を読むと、「サンシャイン」は、その場で何かを見つめている目線に焦点がある。人生を映像として見つめている視点、切り取られた時間の流れそのものを見ているようにも感じられます。そういう映像そのものを、美しく描いている曲なのだと思います。
1 まず表面では、「見送る歌」
スピッツの「サンシャイン」は、まず表面的には、旅立つ〈君〉を見送る歌として読むのが自然には見えます。
移動しているのは語り手ではなく、〈君〉です。大きなバスでどこかへ行く〈君〉を、こちら側に残された語り手が見ている。その構図を押さえると、この曲は寒い都会へ向かう誰かを、故郷や家族の側から見送る歌に見えてきます。
ここに、例えば「木綿のハンカチーフ」のような、故郷から見送る歌のようなイメージが重なります。
〈君〉は故郷から旅立つ。
〈君〉は、「許された季節」が過ぎると、寒い都会へ降りていく。
そう考えると、「サンシャイン」は夏の花と掛けながら、故郷の光にも見えてきます。あるいは、見送られる〈君〉自身のまぶしさでもある。残された側は、めぐる風によろけても、変わらず夏の花のようでいてほしい、と祈っている。
つまりこの曲は、表面では、家族や故郷の側から旅立つ者を見送る歌と言ってよいかと思います。
2 「許された季節」は、モラトリアムの終わりにも見える
許された季節が終わる前に
この見送りの歌として読むと、〈許された季節〉という言葉が印象的に見えてきます。
それは子どもでいられた時間、モラトリアムのようなもので、親の庇護の中にいた時間、期限つきで許された時間のことかもしれません。
家族のもとに帰れる季節。
故郷で昔の自分に戻れる季節。
まだ完全には大人にならずに済む季節。
しかし、その季節は終わる。だからこそ、「散らばる思い出を はじめから残らず組み立てたい」という願いが出てくるのだと思います。
ここで歌われているのは、もう元には戻れないことを知っている人の記憶の組み立て直しのようにも見えます。
旅立つ〈君〉を見送る側は、ただ「行ってらっしゃい」と言っているわけではない。夏の花のようだった時間が終わっていくこと、子どもでいられた季節が閉じていくことを、どこかで感じている。
3 奥には、死後の世界へ向かう〈君〉を見送る構図があるかも
焦げた匂いに包まれた 大きなバスで君は行く
ただ、この曲は故郷からの旅立ちだけでは収まりきらない冷たさがあります。
〈サンシャイン〉という言葉は輝いて、まぶしいはずなのに、曲全体にはどこか寒さがある。夏の花が出てくるのに、温度が低い。明るい光の歌でありながら、その光が生の光だけではなく、死の向こう側の光にもなんとなく見えてくる。
焦げた匂い/白い道はどこまでも続く/よみがえる
キーワードがどことなく臨死体験的に見える。ここで、もう一段別の視点として、死後の世界との往復という見方が、一つの仮説としてありえると思います。
やっぱ飛ぶっていうのは、意識と肉体とを離して考えちゃう傾向があって。そういう魂の存在を肯定的に歌詞にしたがる傾向があって。出典:『スピッツ』(「ロッキング・オン・ジャパン」1995年9月号)
〈サンシャイン〉は、臨死体験で語られるような光体験にも見える。
〈こげた臭い〉は、死の匂い、火葬、焼け跡の気配にもつながる。
〈大きなバス〉は、日常的な乗り物でありながら、死後の世界へ向かう乗り物のようにも見える。
つまり、表面では「寒い都会へ向かう君」を見送っている。
しかし深層では、「この世からあちら側へ向かう君」を見送っているようにも読めなくはない。
この二重構造が、「サンシャイン」の不思議な冷たさを見ていると、かすかに感じてしまう。
故郷から離れるバス。
死後の世界へ向かうバス。
それらが一つのイメージに重なっているようにも見えてくる。この曲は、ありふれた見送りの場面に見えながら、どこか葬送のような気配を帯びている。
4 埃の粒、走馬灯、リインカネーション
散らばる思い出をはじめから残らず組み立てたい
さらに、思い出を組み立てる感覚は、死の文脈で読むと、人生回顧、いわゆる走馬灯の役割になっている。
記憶が散らばっている。
それを最初から組み立て直す。
何かの終わりの前に、人生をもう一度見る。
見送りの歌として読んでも自然です。古い部屋、すりガラス、埃、夏の光。そうしたものに触れて、昔の記憶がよみがえる。別れを通して、忘れていた自分が戻ってくるような感覚があります。
けれど、死と転生の歌として読むと、もう一つの意味が浮かび上がってくる。
〈よみがえる埃の粒〉は、ただの部屋の埃ではなく、魂としての「よみがえり」ようにも見える。光が差すことで、散らばっていたものが浮かび上がる。魂は次の場所へ向かう。
〈許された季節〉は、モラトリアムに見えながら、生きることを許された期間になります。
ひとつの人生が終わる。
思い出が組み立て直される。
埃の粒が光の中でよみがえる。
そして、次の生へ向かう。
そう考えると、「サンシャイン」は、旅立ちの歌の衣をかぶった、死と転生の歌にも見えてきます。
現実の場所を歌っているようで、いつの間にか夢の世界や、この世ではない場所へ移動している。この構造は、スピッツの曲で繰り返されています。なので、もしかしたら「サンシャイン」もそうかもと考えてしまうのです。日常の風景から始まりながら、魂の逃避行や、死後の世界との往復のような領域へ入っていく。
バス、都会、夏の花、埃、光といった現実的なものを使いながら、死後の世界の入口に触れている。
まとめ
「サンシャイン」は、まず表面的には、旅立つ〈君〉を見送る歌です。
故郷から都会へ出ていく〈君〉を、家族や故郷の側が見送っている。
そこには、家族からの旅立ち、モラトリアムの終了が重なっている。
しかしその奥には、もっと冷たい光があります。
〈サンシャイン〉は臨死体験の光のようにも見える。
〈こげた臭い〉は死の匂いにも見える。
〈大きなバス〉は死後の世界へ向かう乗り物にも見える。
〈散らばる思い出〉は人生回顧、走馬灯にも見える。
〈よみがえる埃の粒〉は、転生の記憶や魂の断片にも見える。
つまりこの曲は、
旅立ちの歌であり、見送りの歌であり、死と転生の歌でもある。
もちろん、恋愛の別れ、青春の終わりとして読むこともできます。
ただ、「サンシャイン」というまぶしい言葉に対して、曲全体が妙に冷たく響くこと。
夏の花があるのに、寒い都会があること。
言葉の繋がりに、死後の世界へ向かうような気配があること。
「“サンシャイン”もそうだけど、ネガティヴなものをネガティヴとして見せるとか、ポジティヴなものをポジティヴとして見せるっていうことじゃないという姿勢は”飛ぶ”って言葉につながってますよね」 出典:『スピッツ』(「ロッキング・オン・ジャパン」1994年10月号)
『空の飛び方』の最後に「サンシャイン」は配置されています。恐らく意味がある。歌詞の中に飛ぶという言葉が出ないわけですが、“飛ぶ”という一つの形を示しているのだろうと。
「サンシャイン」は静かなトーンで、身体は止まったまま、映像を映す視点だけが空中を浮かぶように飛んでいるようにも見えます。よみがえる埃の粒も、光に照らされながら空中を舞っている。
「サンシャイン」は魂が空を舞うように描かれた視点の歌なのではないかと思います。

コメント