スピッツの「不死身のビーナス」は、アングラ文化の感触を、ポップスの形に加工した曲。
「不死身のビーナス」は、スピッツの5作目のアルバム『空の飛び方』に収録された楽曲です。アルバムは1994年9月21日に発売され、この曲は6曲目に置かれています。
雨の朝。
生ぬるい缶ビール。
おもちゃの指輪。
ネズミの街。
知らないどこかへ行ってしまう女性。
並んでいるものは、綺麗な恋愛の小道具でなく、どこか退廃的な気配があります。
この女性は、恐らく一箇所にとどまらない。「明日も風まかせ」なので。
ひとりの男の場所に収まらず、複数人との恋愛の間を移動しているように見えます。
そして、そのたびに傷ついている。だから「不死身のビーナス」
でも、この曲はそれを沈ませない。
ポップに歌うことで、色々なものを吹き飛ばす力を与えている。
雨降り朝まで──別れ前夜の最後の時間
雨降り朝までもう絶対泣かないで
「雨降り朝まで」は、別れ前夜の最後の時間に見えます。
雨が降って、どこかに入る。
朝まで一緒にいる。
「矢印通り=♂♀」に抱き合う。
朝になったら、缶ビールは生ぬるくなっている。
「生ぬるい缶ビール」は、夜が過ぎた部屋の象徴と読みます。
開けたまま置かれていたもの。
飲みきれないまま、朝になったもの。
「さよなら飲みほそう」と重なると、その缶ビールは、ただの飲み物ではなくなります。
さよなら自体を飲み干すことになる。さよならを飲み干し、蹴飛ばしていく。
恥ずかしい物語=最低の君=不死身のビーナス
この曲には、汚れた過去、傷ついた過去が描かれている。
その過去は、「恥ずかしい物語」です。
そして、その物語を持つ彼女は「最低の君」でもある。
ただ、ここでの「最低」は、単なる罵倒ではないと思います。
語り手は、彼女の傷つき方も、だらしなさも、移ろいやすさも見ている。
そのうえで、彼女を「不死身のビーナス」と呼んでいる。
きれいだからビーナスなのではない。
傷ついても、汚れても、誰かのところへ行ってしまっても、男性の目から見た神秘的な女性のままで。
おもちゃの指輪──本物になれなかった約束
おもちゃの指輪は、「幼い約束」と捉えることができる。
本物の結婚指輪ではない。
社会的な効力もない。
安っぽい、けれど、二人の間での約束。
将来をまっすぐ約束するような恋愛でもないのかもしれない。
それでも、二人だけに通じる約束の名残。
それが、おもちゃの指輪なのだと思います。
ドアを蹴飛ばす──勢いよく場面を変える
「ドアを蹴飛ばす」場面は、怒りというより、退場の動きに見えます。
朝を迎えたので、あくびが出る。その勢いのままドアを蹴飛ばす。
きれいに別れるのではなく、勢いで出ていく。
『空の飛び方』というアルバム名で見るなら、
「蹴飛ばす」のことばに、かすかに「飛ぶ」の要素があります。
空へ舞い上がるのではなく、今いる場所から勢いよく出る動きとして。
ネズミの街──ビーナス(聖)とネズミ(俗)
ビーナスは、美の女神です。
高貴で、神話的で、遠い記号です。
そのビーナスが、ネズミの街にいる。
高貴な象徴を、汚れた場所へ着地させる。
美の女神を、退廃した街に置く。
ネズミは、不死身とも音が響き合います。
フジミ。ネズミ。
意味としては、女神を汚れた街へ降ろす。
音としては、不死身へ戻っていく。
不死身とは、傷つかないことではない
この曲の「不死身」は、傷つかないという意味ではなく、逆に、いつも傷ついているという意味だと思います。
複数の恋愛の間を移動し、そのたびに傷ついている。
けれどもまた再生して繰り返す。あんなに傷ついたのに、また。
その姿を、不死身と表現している。
ビーナスは傷だらけのまま、また恋愛の中へ戻っていく女性の姿。
だから、この曲の不死身は、不滅の神々しさではなく、
傷つく行為を繰り返してしまう執着。そしてそれをポップに蹴飛ばす。
ポップに歌うことで、過去を吹き飛ばす
この曲は、言葉の意味だけを拾えば、暗い内容の歌です。
でも、曲はそこに沈むことなく、ポップな速度で進んでいく。
過去は消えない。
恥ずかしい物語も消えない。
最低の君も消えない。
それでも、ポップに歌うことで、過去を吹き飛ばす力が生まれている。
「不死身のビーナス」は、退廃をそのまま退廃として歌う曲ではなく、
アングラの名残を、ポップスの明るさで蹴飛ばしている曲に見えます。

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